こんにちは。狸温の旅日記の管理人である狸温です。狸温の旅日記は、狸温が旅した場所やエピソードなどをご紹介するサイトです。
第4弾は、狸温が夫のいねさんとともに、2018年9月に某旅行会社主催のチュニジアツアーに参加した時のお話です。
今回は、旅の理由とカルタゴまでの体験談をお話し致します。
チュニジアに行きたいよ
チュニジアに行きたい
2018年の初夏に、旅行会社のパンフレットを見ていた夫のいねさんが「チュニジアに行きたい」と言い出した。これは、これは、我が意を得たりでした。
私は作家の塩野七生先生の本が大好きで、塩野七生作品を語らせたら、何時間も喋っています。とりとめないですけど。
その塩野先生の「ローマ人の物語」という中に、ハンニバル戦記があります。カルタゴの英雄、ハンニバルの話です。
カルタゴ、つまり、今のチュニジアです。ハンニバルの故郷に憧れがありました。
いねさんが指し示したツアーの内容も良く値段も手頃でした(ツアーの価格は時期によって変わります)。
ご飯も全部付いています。チュニジアで自分でご飯食べろと言われても困るのでこれは必須です。
いいよ~(やった!)
狸温に断る理由はありませんでした。即答で「イエス」です。そうして、チュニジア夫婦旅の準備が始まりました。
チュニジア旅行に持って行ってよかったもの
虫除けと日焼け止めクリーム
暑い国行くときは、必需品です。日差しの強さが半端ないところもあります。
虫にも刺されることがあります。
現地で自分の肌に合う物を簡単に購入できません。
これは、日本から用意した方が良いと思います。
ボールペンとウェットティシュとその他
ウエットティシュは衛生のために持って行った方が良いです。食事の時にお手拭きが出る可能性は低いです。
安いボールペンを持って行きました。
もちろん、メモを取るためですが、チップの代わりにもなります。
インクが乾きにくくて、書きやすい日本製のボールペンは安い物でも喜ばれます。
旅行終わりに現地ガイドさんにチップ代わりにあげたら、ものすごく喜ばれました。
それと、海外の食べ物が口に合わない人もいます。
ツアーに入るとご飯の心配はしなくても良いですが、食の好みがある人はなかなか辛いみたいです。
そんな人は、カップラーメンか、カロリーメイトを持っていく方がよいです。
自由行動があまりないツアーだと食べられるもの探しができるかは分かりません。
狸温と夫のいねさんは、食に特に大きな好みがなく、アレルギーもないので、食事が出るなら、現地の食事を楽しみます。
チュニス市街からカルタゴに向かいます
。
カタール航空でチュニス・カルタゴ空港に到着しました。カルタゴはチュニスの近郊にあります。
バスでチュニス市街を通ってカルタゴ観光に向かいました。
カルタゴは、フェニキア人の都で、ポエニ戦争で滅んだ都市。ハンニバルの国です。
もちろん、ハンニバルの頃のカルタゴの都市はすでに破壊されてありません。
この遺跡は、第三次ポエニ戦争で本来のカルタゴが滅んだ後、ローマ支配の元で再建された都市です。
ハンニバルとは、カルタゴの将軍で、第二次ポエニ戦争でイタリアに侵入して、何度もローマ軍を破った人です。
最後は、ザマの戦いで、スキピオ・アフリカヌスに負けてしまいましたが、それでも、敵のローマ軍に何度も勝ったカルタゴの英雄です。
初めてのチュニスのお昼ご飯
チュニスのお昼ご飯です。メインは魚のトマトソースの煮込みです。美味しかったです。
料理名は覚えていません。旅のしおりをみてもシーフードとしか書いていません。
チュニジア到着して、初めてのご飯です。トマト味でなんとなく、イタリア料理を思い出します。
別料金で、飲み物もあります。チュニジアワインやビールが頼めます。個人的にはレモンジュースがあるときは、レモンジュースを頼みました。
カルタゴ遺跡~浴場もあります
カルタゴにはローマの五賢帝のひとり、アントニウス・ピウスが建設した浴場もあります。
チュニスから約15キロのところにありました。ローマの古い遺跡という感じでした。
アントニオ・ピウスは、ローマ帝国の全盛期、五賢帝の4番目のローマ皇帝です。
ローマの皇帝は公共の浴場を大切に思っていたのですよね。
うっとり。ヤマザキ・マリ先生の漫画テルマエ・ロマエが古代ローマの浴場文化の勉強になります。
テルマエ・ロマエはアントニオ・ピウスの前のハドリアヌス皇帝の時代の話です。若きアントニオ・ピウスも登場していました。めちゃくちゃ賢い青年でしたね。
さすが、五賢帝の一人。ちなみに私はハドリアヌス皇帝がお気に入りなんですけれどもね。テルマエ・ロマエのハドリアヌス皇帝も好きですが、塩野先生の描くハドリアヌス皇帝が大好きです。
ハドリアヌス皇帝が好きすぎて、昔、友達の千狐ちゃんとイタリア旅行に行った際にも、無理を言って、「ヴィッラ・アドリアーナ」というハドリアヌス皇帝の別荘の遺跡まで訪ねています。
ここの遺跡がまた素晴らしくて。。もう一度行きたい。。と話が逸れました。
テルマエ・ロマエは映画も面白かった。阿部寛さんを初め、日本人でも顔の濃い人って多いな。結構日本人と言っても、顔の濃い人と薄い人だと、パーツの作りが全然違いと思いながら観ていました。
アントニウス・ピウス皇帝の頃のカルタゴってどうだったのでしょうか。ローマ人が入植してきたといえども、もともとのカルタゴの民族フェニキア人の血を引く人もいただろうしね。
もともと、ローマ人って、本来のローマ人だけではなくて、エストニア人とかも融合していたんだっけ。結構顔の違いが大きいのかもしれません。
カルタゴの浴場は、テルマエ・ロマエの少し後くらいに造営されたと考えると、今にも粋なローマ人たちが浴場でザワザワしている姿が目に浮かびますよね。これもテルマエ・ロマエの影響ですかね。
何となく、昔行ったイタリアを思い出します。浴場の遺跡もあるしね。
チュニスやカルタゴにはイタリアというかローマからの移民の子孫も多いそうで、街を歩く人もイタリア人ぽい(狸温のイメージでございます。)
第3次ポエニ戦争で、カルタゴが滅んだ後に、ローマが建築しているのでローマ遺跡なんです。
カルタゴのセントルイス大聖堂
カルタゴのセントルイス大聖堂(アクロポリウム)です。
元々はローマ・カトリック教会でした。カルタゴの城塞があったピュルサの丘の上に立てられています。
カルタゴの城塞があった頃、ハンニバルがここからカルタゴを眺めたかもしれないと思うときゅーっんとします。
教会の建物も素敵なんですが、カルタゴの城塞がそのまま残っていたらな。
カルタゴの将軍の気分で、ピュルサの丘に立つことができたのに。そこは残念でした。
ハンニバルへの思いは忘れない。これがチュニジア旅行の動機ですからね。
今回はここまでですが、チュニジアの旅は始まったばかりです。まだまだ続きます。
お読みくださってありがとうございました。
次回はエルジェム円形競技場跡の観光についてお話ししたいと思います。
それでは~また。
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